地域防犯活動の問題点をとりあげた書籍:犯罪不安社会 誰もが「不審者」?

そもそも『不審者』の定義とは何か?2006年といえば生活安全条例が施行されて数年位。「地域防犯活動についても」ほぼ問題はでそろっていたわけですね。

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犯罪不安社会 誰もが「不審者」? (光文社新書)

↓一例抜粋

>『3章 地域防犯活動の行き着く先』
この章が、副題である『誰もが「不審者」?』を最も良く解説している。こうした社会の中では、傲慢で偽善的な他人が寄ってたかって、周りの人間と雰囲気の違う異質な隣人を、そしらぬ顔で落とし穴に落そうとする。それが怖いから人の目を気にし、あるいは多勢に加担するために群れを作る。

そしてそれにより、もっと不安で拠り所のない社会が作られていく。この章の最後のBさんの話は“悲しい”だけでは済まされない。抱く必要のなかった社会に対する不信と憎しみを当然に抱くことになるだろう。もっと端的に言うと、社会がそれをさせるのである。

それこそが犯罪でないのだとしたら一体何が犯罪なのか。これが許しがたい今の日本の現実である。

地域防犯活動の問題点をとりあげた書籍:犯罪不安社会 誰もが「不審者」?」への2件のフィードバック

  1. 誰もが「不審者」読ませていただきました。
    初版は2006年ですが非常にわかりやすく、一気に読むことができました。
    犯罪は減っているにもかかわらず不安をあおり生活安全条例を制定し、
    防犯パトロールを使い町の不審者を監視させる。
    希薄になっている地域の連帯感や一体感にもつながりいい事づくめのようですが、
    まだ地域コミュニティが活発だった昭和30年代などは今より暴力事件は断然多かったなど、
    大変興味深く読みました。お年寄りの防犯パトロールなどが登下校の見守りなどで
    子供との接触する機会が増え”生きがい”となり悪い事だけではないとおもいますが、
    腕章、制服を着ていないと子供へ声がかけられない、
    「落とし物だよ」と小学生に声を掛けただけで逃げられる。
    「相互不信社会」が形成されつつあると書かれていますがまさにその通りじゃないかなと
    思いました。地域での不審者の定義も生活サイクルが一般人と異なる人、
    個性的な人などが「変わり者」として簡単に不審者と見なされ、
    そろいのジャンパー・「防犯」と腕章をつけた善意のボランティアには異質な者と映り、
    不審者として社会から排除されている。
    大変分かり易く今の日本でなにが起こっているのかよくわかる一冊でした。
    ご紹介ありがとうございました。
    興味のあるある方は是非読まれることをお勧めします。

    返信
    • K様。コメントありがとうございます。2006年にすでにけっこうな問題が起きていたんですよね。その後10年間、日本中でどれだけのことが起きたかと想像すると、この問題があれこれネット上で騒がれていたのもうなづけます。

      返信

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